環境教育 自然だけでなく人 健康 社会に踏み込む

 公害や原発のような経済や政治の流れに相反するような 環境問題の場合、

しばしば社会的抑圧を被る。グローバリゼーションに有効に対抗できない

環境教育は実態から ますます遊離し自ら空洞化していく。それを防ぐために

「協同的、創造的、実践的で制度的な対抗戦略を内包した環境教育の体制が必要」である。

環境教育が自然だけでなく、人や社会に踏み込むことが求められている。

 環境問題の原因となる 社会 政治 経済などの構造を把握し、それらを変えていくような教育実践も少ない。「多角的に持続可能な社会構想が練られているとはいえ 環境教育の研究者による 持続可能な社会像や文化像に関する先行研究は多いとはいえない」

 環境問題を引き起こす貧困や社会的排除の問題に取り組まなければならないのではないか。

このような教育の実践が抑圧されないような社会をつくりあげていくことが 環境教育の今後の発展に繋がる

ものであり、社会問題の認識、そして矛盾した社会を認識するような教育実践が求められている。もちろん環境教育も環境負荷の社会を変えるべく、社会参画を促すことをしているが、前述したような政治 経済を変えるより、消費や節電など個人や行動を変えたり、生態的 自然科学の技術的な管理 保全などの環境教育の実践が「他者の疎外の肯定のうえにしか成立しないシステムに生かされている」

社会の無意識の抑圧 排除の意識 これまでの環境教育に欠けていた点となっている。

不十分であった点 たとえば目指すべき持続可能な社会の姿を具体化 共有化するプロセスやそれを実現する

民主的意思決定のプロセスに参加する市民の育成などを明らかにし 未来世代、抑圧された人々 モノを言わぬ生き物たちに対する責任のあり方を問う。

新たな環境教育の理念の構築と実践に立ち向かう必要がある。